宮岡 成次 著
三井のアルミ製錬と電力事業
B5判、264頁、定価2,095円(税込)(送料210円)
戦前の三井財閥、戦後の三井グループが巨額を投資したにもかかわらず
短命に終わったアルミ製錬と電力事業の記録を残すとともに、
日本のアルミ製錬業を三井という断面から考察する。
本書推薦の言葉
〜歴史を掘り起こし、後世へ伝える〜
桑原 靖夫(獨協大学名誉教授・前学長)
ひとつの産業の歴史を描くという仕事は、並大抵のことではない。構想の確立、評価の視点設定、史料の発掘、整理・体系化、執筆と多くの難事を克服しなければならない。本書の著者宮岡成次氏は、これまで知られることが少なかった三井系企業のアルミ製錬と電力事業について、戦前から今日にいたる歴史を再構成するという大仕事に単独で挑戦され、見事に達成された。別に記された経歴からも明らかなように、著者は長年三井系企業におけるアルミ関連事業の第一線で活躍され、国内のみならずアマゾン計画として今日に残る壮大な海外事業にも従事された。この主題を取り上げるに、余人を持って代え難い。この産業に関心を抱く者のひとりとして、この難事に傾注された同氏の多大な努力とその成果に大きな拍手を送りたい。
日本では「アルミ」と略称で呼ばれることも多い「アルミニウム」という金属は、今日の社会、生活のいたるところで使われている。その使用分野は枚挙にいとまがないほど多岐にわたっている。他の主要金属が鉄、銅、鉛、亜鉛など、漢字表記されることが多い中で、この金属は「アルミニウム」というカタカナ文字で記されている。そこにはアルミニウムが産業史上、出自を鉱山業とすることなく、電気化学産業という近代工業を背景に世界に登場してきたことが反映されている。実際、アルミニウムに工業的生産の道が開かれたのは、1886年ホール・エルー法の名で知られる電気分解(製錬)法が確立された時からであった。
この新しい金属はその存在が発見されて以来、優れた金属的特性と汎用性からたちまち注目を集めた。しかし、その生産には主原料のボーキサイト採掘から発電、製錬、加工という長いプロセスと多大な資本が必要であり、長年にわたり世界でも少数の巨大寡占企業が生産を担ってきた。第二次大戦前、後発資本主義国であった日本も航空機機材などの需要を充たすために、昭和期に入り、国内(内地)ばかりでなく、現在の台湾、朝鮮半島、満州(中国東北部)などで、国策的観点から次々と製錬工場を建設した。戦前の三井財閥のアルミ製錬事業への参画は、この段階に始まっている。
戦後、軍需生産は全面中止となり、アルミ製錬業は産業としての復活の道も絶たれたかに思われたが、その後平和産業として再生・復活し、高度成長期には需要に追いつけないほどの成長を記録した。主要な財閥系企業が競ってアルミ製錬業に参入、拡大を図った。しかし、1973年、79年と相次いで勃発した石油危機の打撃を受け、製錬各社は次々と生産中止・閉鎖に追い込まれ、日本のアルミ製錬業は事実上壊滅した。この劇的な盛衰の過程は日本の主要産業史の中でも、その規模と激変という点で類を見ないものである。
本書のひとつの功績は、次第に知る人が少なくなった第二次大戦前の三井系企業(三井財閥)の電力事業とアルミ製錬事業への参画の経緯を明らかにしたことにある。アルミ製錬業はその草創期から電力事業と不可分な関係にあった。今回、これまで未公開の資料の探索、発掘を含めて、その実態が解明、整理されたことは後世のためにも大きな貢献といえよう。戦前の三井のアルミ事業は三井軽金属を中心に推進されたが、終戦によって短命に終わった。
戦後の三井のアルミ製錬進出は旧財閥系グループの中では遅く、昭和43年(1968年)の三井アルミニウム工業、翌年の三井アルミナ製造の設立によるものであった。しかし、同社を含め、エネルギー危機後の国内製錬企業の製造コスト高騰はいかんともしがたく、同社の製錬事業は操業当初から苦難な時期が続き、巨額の投資にもかかわらず操業期間は短く、大きな開花を見ることなく終わった。
第一次石油危機以後の日本のアルミ製錬業がたどった道は、三井を含む製錬各社にとって他産業にほとんど類を見ない苦難が山積するものとなった。関係者の多大な努力にもかかわらず、結果としてアルミ製錬業は全面撤退という悲劇的な歸趨をたどった。その過程で起きたさまざまなドラマは、きわめて苦渋に充ちたものでもあった。著者はその渦中にあって事態をつぶさに経験した関係者のひとりだが、冷静な視点から三井5社共同事業としてのアルミ製錬事業がいかなる背景の下で構想され、実現に移されたかを克明に分析している。さらに、その過程における経営者の判断、意思決定の評価にまで及んでいる。
企業家として大きな志のもとに出発した三井のアルミ製錬は、大きく開花することなく、道半ばにして撤退という予期せざる結末を迎えた。この過程における関係者の苦渋は計り知れないものがあった。次々と襲いかかるグローバル化の大波に対しつつ、一隻の船を操る船長の苦労と重なるものがある。その過程で事業の当事者がいかなる見通しの下に、事態打開のために必要な意志決定を行ったかという問題は、他産業においても起こりうることであり、経営者が学ぶべき重要な課題といえる。
時代の変化の流れは速く、こうした経営者たちの経験の事跡も次第に忘却されてゆく。記憶の希薄化や資料の滅失が進む中で、幸い現存する資料の発掘と関係者の証言なども併せて、三井のアルミ製錬業と電力事業という産業史の一齣を精力的にまとめ上げられた著者の努力に深い敬意を表するとともに、これらの事業に関心を寄せる方々に広く一読をお勧めしたい。
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目次
第一部
戦前のアルミ製錬と電力事業
白い石炭とパラオのボーキサイト
序章 三井との出会い
第1章 三井鉱山の電力事業
1.1 三井と鉱山業
1.2 自家発電所の建設操業
1.3 白い石炭
1.3.1 政府の水力調査
1.3.2 黒部の水利申請と東洋アルミナム
1.4 高原川の電源開発
1.4.1 水利許可
1.4.2 電気事業法制
1.4.3 三井と電気化学事業
1.5 神岡水電の設立
1.5.1 山本条太郎と日水
1.5.2 日水から大同へ
1.5.3 神水の設立と発電所建設
1.5.4 流木問題
1.6 九州共同火力
1.6.1 会社設立の事情
1.6.2 三池の電力需給
1.6.3 東洋高圧
1.6.4 九州共同火力の誕生
1.7 その他の三井の投融資
第2章 日本アルミへの参加と南洋のボーキサイト開発
2.1 国内アルミ製錬の誕生
2.1.1 日本軽銀製造
2.1.2 その他各社の動き
2.1.3 国内製錬の誕生
2.2 日本アルミへの三井の参加
2.2.1 蘭印のボーキサイト
2.2.2 日月潭発電所
2.2.3 日本アルミの設立
2.2.4 三井の参加
2.2.5 ゼーダー方式の採用
2.2.6 日本アルミの操業と資本構成変更
2.3 南洋のボーキサイト開発
2.3.1 南洋群島の委任統治
2.3.2 リン鉱石からボーキへ
2.3.3 南洋アルミの設立
2.3.4 ボーキサイト生産と販売
2.3.5 増資と増産計画
2.3.6 出鉱停止
2.3.7 終戦後の南洋アルミとパラオ
第3章 東洋アルミと東洋軽金属
3.1 三井財閥の転向と牧田の退任
3.2 東洋アルミニウム設立
3.2.1 取締役会決議と発起人会
3.2.2 認可申請
3.2.3 会社設立
3.3 アルミ加工への投資
3.4 工場建設と電力問題
3.4.1 建設体制
3.4.2 軽金属事業法による事業許可
3.4.3 用地買収
3.4.4 工場の建設
3.4.5 電解技術契約
3.4.6 電力供給源
3.5 東洋軽金属の誕生
3.5.1 西鮮化学
3.5.2 東洋アの新工場計画
3.5.3 中野友禮の退陣
3.5.4 東洋軽金属の誕生と操業開始
3.5.5 楡原の夢のあと
第4章 電力国家管理と三井の電力事業の終焉
4.1 日発誕生と大同の解散
4.2 東町発電所
4.2.1 水利許可
4.2.2 工事の請負
4.3 第2次電力統合と電力事業の終焉
4.3.1 第2次統合
4.3.2 神水の解散
4.3.3 九州共同火力
第5章 三井軽金属
5.1 事業概況
5.2 鴨緑江の白い石炭
5.2.1 朝鮮北部における電気事業
5.2.2 電力消費計画
5.2.3 電力供給
5.3 工場の建設と操業
5.3.1 概要
5.3.2 両社技術の統合
5.3.3 楊市の状況
5.3.4 三池の状況
5.3.5 ボーキサイトの確保
5.4 事業経営
5.4.1 組織と人事
5.4.2 経理と財務
第6章 戦前の事業の総括
6.1 電力事業の総括
6.2 アルミ製錬事業の総括
6.2.1 超重点産業と三井
6.2.2 航空機用のアルミ供給
6.2.3 業界での立場など
6.3 結び
第二部
財閥解体から製錬再開まで
第7章 三井財閥の解体
7.1 三井家と三井本社の運命
7.1.1 終戦の直前直後
7.1.2 財閥解体方針
7.1.3 国内での財閥批判
7.1.4 財閥本社の自発的解散
7.1.5 三井本社の解散
7.1.6 三井家同族会の解散
7.2 三井物産の解体
7.2.1 地域別分割案
7.2.2 三物の解散
7.3 帝国銀行の分離
7.3.1 帝国銀行の誕生
7.3.2 帝銀の分離
7.4 三井鉱山の分割、金石分離
7.4.1 占領政策の三鉱への影響
7.4.2 集排法適用
7.4.3 金属局の新設と事実の認定
7.4.4 2分割指令の内容
7.4.5 神岡(三井金属)鉱業の誕生
7.4.6 大樹の陰から荒野へ
7.4.7 石炭専業となった三鉱
第8章 戦前の事業の清算
8.1 南洋アルミ
8.1.1 閉鎖機関指定
8.1.2 南洋アルミの清算
8.2 三井軽金属の清算
8.2.1 終戦前後の会社の状況
8.2.2 在外会社の規制と三池での事業転換
8.2.3 整理計画 幻の東洋化学
8.2.4 三井軽金属の解散と三池の資産処分
8.3 日本アルミの戦後
8.4 加工部門等への投資のその後
8.4.1 加工・合金部門
8.4.2 東洋曹達
8.5 自家発復元運動と軽金属工場跡地買収
8.5.1 自家発復元問題
8.5.2 軽金属工場跡地買収
8.5.2.1 神岡鉱業の初期業績
8.5.2.2 日本マグネと国産軽銀
8.5.2.3 跡地買収
第9章 二つの先例 ─石油化学と共同火力─
9.1 三井石油化学
9.1.1 会社の誕生
9.1.2 創業者利潤
9.1.3 三井各社の協力
9.1.4 三井アルミとの比較
9.2 西日本共同火力
9.2.1 電力業界と石炭
9.2.2 会社設立と初期の操業
9.2.3 昭和40年度以降の営業と会社解散
9.2.4 三井アルミとの関連
9.3 板硝子とアルミ
第10章 昭和30年代の三井5社
10.1 三井物産の大合同
10.1.1 三井の商号
10.1.2 合同における問題点
10.1.3 大合同後の状況
10.2 三井銀行の戦後
10.2.1 弱い資金力
10.2.2 佐藤と小山
10.3 三井鉱山
10.3.1 石炭産業と統制
10.3.2 合理化と争議
10.3.3 石炭政策と災害
10.4 三井化学と東洋高圧
10.4.1 戦後復興
10.4.2 原料の転換と石油化学
10.4.3 三井コークス
10.4.4 三井東圧化学へ
10.5 三井金属とアルミ
10.5.1 軽金属への関心
10.5.2 金属加工への進出
10.5.3 八戸製錬とNZAS計画
10.5.4 公害問題
第11章 アルミ製錬業界の状況
11.1 戦後復興と3社寡占体制
11.2 外資導入
11.3 高度成長と貿易自由化
11.4 三菱の参入と3社の対応
11.5 各社の設備増強
第12章 A計画委員会と三井アルミ設立
12.1 A計画委員会の結成とその活動
12.2 アルミと共同火力
12.3 九電との交渉
12.4 三井アルミ設立
第三部
三井5社の共同事業
続 黒ダイヤからの軽銀
第13章 円高開始までの建設と操業
13.1 三井の総力結集による三井アルミ設立
13.1.1 基本協定書と各社の立場
13.1.2 役員選任
13.2 技術と電力
13.2.1 技術の選択
13.2.2 九電との協定
13.3 業界の反対と政府認可
13.4 建設と資金調達
13.4.1 実行計画
13.4.2 財政資金
13.5 操業と販売の開始
13.5.1 石炭購入
13.5.2 アルミナの手当
13.5.2.1 自家製造の決定
13.5.2.2 建設委員会での説明
13.5.2.3 別会社によるアルミナ自給
13.5.3 資金調達と役員の増加
13.5.3.1 増資
13.5.3.2 借り入れ
13.5.3.3 役員増加
13.5.4 要員確保
13.5.5 建設工事
13.5.6 ペシネーの優等生
13.5.7 公害対策
13.5.8 初期の販売
13.5.9 新日鉄との提携
13.5.9.1 三井鉱山コークス
13.5.9.2 新日鉄との提携
13.6 2期発電立地
13.7 アルミナ社の第1期
13.7.1 アルミナ工場立地
13.7.2 二つのアルミナ計画
第14章 第一次石油危機まで
14.1 アルミ社第1期完成
14.2 アルミナ社第1期完成
14.3 加工部門への進出
14.3.1 アルミ社の多角化
14.3.2 三井軽金属加工
14.4 投資
14.5 第2期の建設計画
14.5.1 発電所
14.5.2 製錬工場
14.5.3 アルミナ工場
14.5.4 計画の実行と石油危機
14.5.4.1 建設費高騰と増資
14.5.4.2 石油危機の影響
14.5.4.3 社長交代
第15章 第二次石油危機まで
15.1 第2期設備増強後の状況
15.2 海外事業
15.2.1 アサハン
15.2.2 アルマックス関連
15.2.3 アマゾンアルミ計画
15.2.3.1 計画の初期段階とアルミ社の役割
15.2.3.2 NAACへの三井の出資比率
15.2.3.3 アルブラスへの技術供与と人材派遣
15.2.3.4 アルミ社への貢献
15.3 MAICと一体化委員会
第16章 構造不況と会社再建
16.1 第二次石油危機と発電分離
16.1.1 発電所分離
16.1.1.1 電力の特定供給問題
16.1.1.2 三池火力発電
16.1.1.3 親会社の支援とその効果
16.1.2 危機への対応
16.1.2.1 アルミ社の対応
16.1.2.2 アルミナ社の対応
16.2 国の対応・支援とその効果
16.3 アルミナの統合
16.4 第1次合理化と適正操業規模
第17章 製錬停止と会社解散
17.1 社長交代
17.2 親会社の姿勢
17.3 合理化と増資
17.4 アルミナの休止
17.5 新三井アルミへの営業譲渡
17.5.1 九州アルミ
17.5.2 新会社の発足
17.5.3 余剰電力問題
17.6 製錬休止
17.7 旧会社の清算完了
17.8 熔鉱炉製錬法
17.8.1 耐火物
17.8.2 残された課題
17.8.3 所要原材料とコスト試算
17.9 脇の浦埋め立て
17.10 三池火力の改組
第18章 新三井アルミの解散と後継会社
18.1 新三井アルミの終焉
18.1.1 鋳造部門の採算性
18.1.2 新アルミの解散
18.1.3 後継会社
18.2 資産処理と清算
18.2.1 損失処理方針
18.2.2 損失処理額
第19章 戦後の事業の総括
19.1 環境変化の予見と対応
19.2 アルミ製錬の本質と三井
19.3 事業目的達成度と遺産
19.4 三井の特殊性
19.5 アルブラス
19.6 結び
終章
年表
主要参考文献
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●関連図書
『黒ダイヤからの軽銀−三井アルミ20年の歩み−』
牛島 俊行/宮岡 成次 共著
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